KHECHEOPALRI LAKE SIKKIM INDIA

インド シッキム州ケチュパリ湖の暮らし
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自家製のお酒

大工さんや家作りを手伝ってもらう方々がガブガブ飲むので
2週間に一度は50キロ分のお米から作っているチャンという名の米酒。
毎回近所のおばちゃんに作ってもらっている。

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今回は、私も好きな粟酒トゥンバもつくることしたのでお手伝いをした。
2日間見て勉強し、今日は10キロの粟からのお酒を自分だけで作ってみた。
レプチャのおばちゃん製のはもちろんおいしいのだけれども、汚いなぁとハッとすることもあるので、自分で10キロだけ作った。

粟をお水がきれいになるまで良く揉み洗う。
そして煮て、煮えたらお湯を捨てて、ちょっと蒸したら大きな場所に広げて冷やし、
まだほんの少し暖かいうちに麹のような粉をふり少し風が通るプラスチックバックに入れて毛布などをかける。
この麹も、森の植物製で手作り。
夏場は翌日に液体がしたたりはじめる。冬だと数日かかる。
そしたらバケツなどの大きな密閉容器に入れて保存し3日後くらいから飲める。

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*粟をついて、皮がむけやすくする。

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*麹みたいなものマルチャ

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*お米のお酒

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*甘くておいしい粟酒は味がマッコリに似ている

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*竹筒に入れて、竹のストローで飲む

おばちゃんは50キロを一日で作る。
2日間で100キロも作るおばちゃん。
私は10キロ分で丸一日かかった。

煮るのは直火だとおいしいので、その薪をたくさん捜すのが大変だった。
自分ひとりで火をおこしたのも初めてで、たのしかった。
昨日作ったチャン50キロから液体がしたたっていたので、バケツ容器に入れ替える作業もしたので腰が痛い。
私が外でトゥンバを作っていたら、地元の人や親戚にとても驚かれた。
シッキム人でも町の女性はお酒をつくることができないらしい。

売る用に作っている人が村にも親戚にも大勢いる。
数キロ分なら簡単だろうけれども、10キロ以上は腰がくだける。
村の妻たちはみな作っているので、こんなにこんなに大変な重労働とは思わなかった。
私だったら10倍の値段でも売りたくないくらい大変。

体はぐったりだけれど自分でお酒を作ることが出来てうれしい!
自分のとおばちゃんの飲み比べるのがたのしみ。

村人と違って2週間に1度くらいしか飲んでいませんので心配しないでください。

シッキム州都ガントク

先日シッキム州外国人滞在証の期間延長依頼のために州都ガントクへ行ってきた。

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ケチュパリ周辺の女性はひとりで遠くに行かない。
ひとりで実家以外に外泊なんてない。
友達は?といろんな人に聞かれた。
乗り合いジープはすべて男性だった。

義兄嫁に聞くと、知らない場所は何がどこにあるかわからないからひとりは嫌だそう。
わからないからおもしろい。
世界どこでもひとりで行ける!

州都までの道のりは150キロで車で6時間半もかかる。
ケチュパリから隣の州シリグリまでと同じ時間。
もっと近いカリンポンやダージリンに行きたいけれど、外国人登録事務所のある州都はガントクだから仕方がない。

その道は日光のいろは坂の道をボコボコにした感じで・・・
ケチュパリからガントク間の道はシッキム内でもとくに悪い状態。
景色は緑一色で気持ちがいい。

途中の休憩所のレストランのおばちゃん、ガントクの服の仕立て屋、宿のおじさん、チベット雑貨屋の女性など
毎年8月にしか来ない私のことを覚えてくれていてうれしい。
街では、ソナムの友達数名、ケチュパリ周辺の人にも数名遭遇した。
みんなも、役所仕事でここまで来ないといけないんだ。
行き帰りの乗り合いジープに乗り合わせた見覚えのない人達も私を知っていた。
悪いことは出来ないなぁ
メガネが特徴的なのかなぁ

ガントクでケーキやアイスやドリアン、フルーツタルト、肉餃子、野菜餃子、パニールロール、カプチーノなどを立て続けに食べたら、ふだん滅多にお腹を壊さないのだけれど、壊れた。
欲張ると壊す。
真っ暗闇の森の静寂の中でいつも目をつぶるとすぐに眠る私が、ガントクの夜ではなかなか寝付けずびっくりした。
グジャラート州のブジで泊まった交差点にある宿ぐらいにうるさかった・・・

カディショップというガンジー発起の自然布のお店で自分で仕立てる用のいっぱいの木綿布を買い、
ブティア族の民族衣装のドレス2着にブラウス4着分の布も買い仕立て屋に出した。
ケチュパリ周辺には良い仕立て屋がないので普段困っている。

買い物中変なネパール語で話す私にみんな、どこから来たの?レプチャ?と聞いてくる。
日本人とレプチャは顔がとても似ていて、ルーツが同じらしい。
ガントクはピュアインド人のお店も多く、お互いに母国語ではないネパール語で会話することになる。
そもそもインド人はみんな英語が上手だからなんの心配もいらない。
英語を使うと商品価格が上がる。

シッキム州内のピュアインド人は、物腰が柔らかくシッキム人化しているので安心できる。
ネパール語を話すインド人は、良い人に感じるから不思議。
ネパール語は響きが北関東訛りで、誰が話してもおばちゃんみたいで安心するのかな。

逆に、ウエストベンガル州シリグリなどではシッキム人のようなアジア顔の悪人もいる。
見た目で判断してはいけない。

ガントクは標高がケチュパリと同じ2000メートルくらいなのに暑い。
森がなく、コンクリートの建物が密集し、人が多いからだろうか。
2週間後に滞在証の受領にまた行く。
遠いのだから一回で済ませて欲しいのだけれども。

楽しかったけれど、ガタガタ車のせいかぐったり。
シッキム州政府、道路整備してください。

静かな森にあるケチュパリの、湖から来る風が気持ちよくてホッとする。

インド独立記念日のシッキム

義父一周忌が無事終わり、州都に凸凹道の片道6時間半!もかけて行ってシッキム滞在証の更新依頼(また受領に行かないといけない・・・)をして、帰り道はソナム兄宅で降りて泊まって、8月15日インドの独立記念日はイベントを見に行った。

7月から始まる会話「フィフティーンオーガストはどこに行くの?」

8月15日はシッキムの人にとって、学生の行進、民族踊り、サッカーなどをどこかの大きいグラウンドで観るたのしい日。
長時間炎天下なので今年はお留守番したかったけれど、親類が楽しみにしているので一緒にタシディンというケチュパリから2時間の村に行ってきた。

シッキム州は1975年まではブティア族の王様のいるシッキム王国だった。
その後でインドの一部になった。
中国は2005年にシッキムをインドの一部と認めた。
今もシッキム州に中国人は入域できない。
パキスタン人、バングラディッシュ人、ミャンマー人も入域出来ない。
インド併合を喜んでいない人もいる。
独立記念日はテロの危険もあるから警察も警戒している。

インド国旗をはためかせ、インド国歌が何度も流れ、インド国旗の3色カラーの服を着た踊りを学生が踊る。
インド国歌に合わせて軍隊のような行進をする学生。
インド国歌というかお祈りの歌?のときはみんな起立。

シッキム王国時代のシッキム国旗を手に入れたいのだけれどそれはどこにも売っていない。

本場のピュアインド人はほぼいない会場で鳴り響くヒンディー語。

あぁここはインドなんだと思い出す日。
こんなに日本人と同じアジア顔で、彼らもインド人だなんて無理やりだなぁ。

州人口の75%はネパール人。
たったの25%がレプチャ族とブティア族。
ケチュパリはネパール人がほぼいないけれども、他の村、街に行くとたくさんいてここはネパールかと思う。

みんながみんなネパール語、ネパールの文化に染まっていて驚く。
州知事もネパール人。

ブティア語の話せるブティア族、レプチャ語の話せるレプチャ族が少なくなってきている。

ブティア族の姪甥は誰一人ブティア語を話せないわからない。
ソナムの親族はブティア語を聞けるけれど話すことができない人が多い。
完璧に話せたのはソナムの両親の世代で終わってしまった。

日本人の私から見ると?なんで?と思うけれど、これだけネパール人が多いから仕方がないのかもしれない。
でも、毎日使う言葉はとても文化と繋がっていて、大切。
ネパール語はネパール人の文化と容姿にぴったりの言語で、ブティア、レプチャの文化、容姿にはまったく似合わない。

ケチュパリにたくさんいるレプチャ族は、きっちりレプチャ語を使っている。
ほかの村ではレプチャ語を話せないレプチャの若者が多くなってきていると聞く。

シッキム州とその周辺にしか存在しない少数民族のレプチャ族とブティア族の文化が消えないように願う。

インド人、レプチャ族、ブティア族、ネパール人が各民族衣装を着て出てきて
順番にそれぞれの踊りを披露したり、みんなで踊る。
シッキム州ならではのいろんな文化の踊りを見ることが出来てうれしい。
シッキムには少ししかいないサリーを着たインド人女性の踊りもかわいかった。

なぜかタイのムエタイや、前輪を上げて走るバイクや、ブティアの獅子舞などいろんな見世物があってとても楽しかった。

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*ブティア族

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*レプチャ族 うしろはネパール人

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*インド人女性の踊りを見る他の民族

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*ガンジーも

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石臼でそば粉作り

法事の準備で、そば粉作りを見学した。
そばの実なのかわからないけれど、ソナムがこれは蕎麦と言っている。
何で知っているのだろう。

石臼があるのは前から知っていたけれどこうして現役で使われているなんて!
そば粉以外にも、とうもろこし粉や米粉やいろいろ作るそうだ。

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*ふたりがかりの重労働

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*蕎麦の実?

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*40キロの牛肉を裁く

石臼をまわすのはとても重そう。
2種類の石臼を使って何回もひいていた。
夜遅くに急ぎだったので、私は挑戦しなかった。

この粉で蕎麦を作るわけではなくて、チャパティのようなものを作るそう。

実家のあるメリ村はすごいのんびりとした田舎。
早朝6時から夜8時まで訪問客が台所でなにか飲んでいる。
ソナム兄弟がみんないて、甥っ子姪っ子もたくさんいるし、ソナムの生まれたところで大好きな場所だけれど
私は、ここに住めないなぁ・・・
訪問客が多い家は良いらしいけれど、多過ぎる!

突然来て長時間滞在で世間話。
台所をカフェか飲み屋にしちゃえばいいのに。

今日はソナムは法事のお供え物やいろいろを買いに街へ。
明日は108本の旗をたてる。

ケチュパリに大工さんが3人いてお酒や食事、お金のお世話などがあるので
私は9、10日の当日だけ行くのかな。

108本の竹

今週木金は義父の一周忌法要がある。

昨日ソナムたち5人息子は108本の竹を切った。
35人に手伝ってもらって。

祈祷旗タルチョという旗のために竹棒がいる。

この白い旗の集まりは、遠くから見ると戦国時代に見える。
実家周りは、義父の、義母の白旗がたくさんはためき、戦国武将の家のよう。
この近くのどこにさらに108本立てるのかなぁ。

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実家周辺はブティア、レプチャの仏教徒が多いためもう竹がない!
誰かが亡くなるたび、供養のたびに108本切るから。

なので昨日は仏教徒でないネパール人が多く住む地区の竹を切り、トラックで実家に運んだ。
今日もトラックで運び、この竹に大きな白い旗をつけて、立てる。

時間も体力もかかる。
作業を頼んだ仏教徒でない人たちからは、こんな手間隙かけてよくやる、と言われたそう。

竹棒以外にもわんさか準備がある。
大勢のお坊さんが2日間滞在する。

この一周忌は日本と同じで、亡くなった人がいま、良い方向に進みますようにとお願いするそう。

この手間ひまのかかる法事、ソナムの予想ではソナムの代で終わる。
昔はもっと手間がかかっていただろう、ソナムの後の世代は、簡素な法要になるのかな。

出来ることを手伝おう。
私は、ソナムの素朴な4人の兄たちが大好きなので会うのが楽しみだ。

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